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Lazy(怠慢)、Selfish(わがまま)、Careless(不注意)

ホームで横浜ビー・コルセアーズ相手に開幕2連敗を喫した琉球ゴールデンキングス・桶谷大HCの言葉が印象的でした。

「僕がコーチとして怒らないといけないのは、Lazy(怠慢)、Selfish(わがまま)、Careless(不注意)」


桶谷HCは次のように語っています。

「僕ができることは、人が成長したりチームが強くなるための環境を作ることです。
結局、昨日はチームではなく、個々がやりたいバスケをやってしまっていました。
最終的には自分のためにプレーするものですが、その前に『チームのために』という大前提がなければいけません。
僕がコーチとして怒らないといけないのは、Lazy(怠慢)、Selfish(わがまま)、Careless(不注意)。昨日はそのすべてに当てはまっていました。
本来なら選手たちの前だけで言えば良いことかもしれませんが、チームとして何を大切にしているのかを皆さんにも理解してほしいです。」

引用元:B.LEAGUE公式メディアニュース

【Lazy(怠慢)】

やるべきことをやらない、準備しないタイプのミス。
努力・集中・習慣の欠如。

  • ディフェンスリバウンド後に全力で戻らず、トランジションで失点。
  • スクリーンに当たってもスイッチせず、味方任せにする。
  • 相手チームのスカウティングを確認せず試合に臨む。
  • 練習中に声を出さず、雰囲気づくりを他人任せにする。
  • ボールのない時間に立ち止まって眺める。
  • 疲れたときに走るスピードや姿勢を緩める。
  • ルーズボールに反応が遅く、相手に先を取られる。
  • タイムアウト中に話を聞かず、うなずくだけで理解していない。
  • 試合後の映像やノートを見返さない。
  • 「出番が少ないから」とアップや準備を省く。

【Selfish(わがまま)】

自分中心の判断。チームより自分を優先する意識のズレ。
利他性の欠如。

  • 味方がフリーでもパスを出さず、自分でシュートを選ぶ。
  • ボールを持っていないと不満を見せる。
  • チーム戦術より自分の得意プレーを優先。
  • ローテーションをサボり、「自分のマークだけ」を守る。
  • コーチや審判に不満を示し、チーム全体の集中を乱す。
  • ミスしても仲間のせいにする。
  • オフボール時に動かず、自分がもらうためだけに位置取り。
  • 他人のアドバイスを受け入れない。
  • チームが負けても個人スタッツを気にする。
  • チームの雰囲気より自分の気分を優先。

【Careless(不注意)】

集中・確認・精度の欠如によって起きる、意図は良いが結果が悪いミス。
集中力の欠如。

  • パスを雑に出してスティールされる。
  • ディフェンス時にボールウォッチして相手を見失う。

「怒る」と「叱る」に違いはない

先日、アウェイ練習試合で片道1時間程度の車移動をチームでしている時に、はっとする会話がありました。
バスケとは関係ないシーンでしたが、女性は、感情的に怒る人は嫌だし、理論的に叱る人も嫌だということです。
これは女性プレイヤーだけでなく、男性も子供もみんなそうだと思います。

怒るは、感情的に自己中心的な反応をすること。
叱るは、理論的で建設的な指摘を意味すること。
よく言われるのが、「怒るのは自分のため、叱るのは相手のため」とか、「怒るのは過去に対して、叱るのは未来に対して」などです。
つまり、「怒らずに叱る」というマネジメントが良しとされているけど、本質を理解しないと、プレイヤーには通用しないと感じました。
スポーツにおける「叱る」を深堀したいと思います。

【なぜ人は叱るのか】

「叱る」とは、相手の言動を否定し、攻撃性を含む言葉を使って、相手に修正を求める行為です。
これはコーチのような権力構造の上に立つ者が、プレイヤーなど自分の価値観に従わせるために使う手段となります。
スポーツ指導における「叱る」は、言葉を用いたネガティブな支配であり、「言うことを聞かせる」ための行動となります。
つまり、「怒る」は感情的に支配しようとしており、「叱る」は論理的に支配しようとしているだけで本質は変わりません。
どちらもネガティブな感情に基づく反応であり、仮にコーチが使い分けていても、プレイヤーからしてみれば、あまり変わらないのです。
例え、コーチが叱ったつもりでも、プレイヤーからしたら「怒られた」と認識するのです。

では、なぜ人は叱るのか?
セカオワの「Habit」では、「説教するってぶっちゃけ快楽」というフレーズがあります。

叱るという行為は処罰欲求という生理的現象であり、ドーパミンが分泌され快感を得られる欲求であるからです。
怒るも叱るも実は自分(指導者)のためです。
ドーパミンなんて目には見えないので、これが事実かはわかりませんが、そう思っておけば、怒ることも叱ることも減るのではないかと考えています。

【叱られる方の立場】

叱ることの本来の目的は、本人に気づきを与え、自省し、悪い行動を今後起こさないようにすることです。
しかし、叱られると人はストレスを感じ、本能的に「戦う」か「逃げる」か「うずくまる」かの選択肢をとります。
戦うとは、言い返すことです。
逃げるとは、叱られているという状況が早く終わるように取り繕うこと、または物理的にその場から離れることです。
うずくまるとは、時が過ぎるのをひたすら待つことです。
「3F(Fight,Flight,Freeze)」とも呼ぶそうです。
その場では言うことを聞くので、コーチとしては手ごたえを感じることもあります。
ただし、実際には選手の自省はほとんどなく、今後の自発的な行動に繋がりません。
特に「うずくまる」の状態になってしまうと、本人の主体性が完全になくなっている状態となります。

【褒めればいいのか?】

ガンガン褒めた方がいいと思います。
褒めることで、自尊心や自己肯定感が高まり、選手のモチベーションがあがります。
また、好意の返報性が働き、コーチのために頑張ってくれる選手が増える可能性もあります。
褒める時は、すぐに、具体的に、みんなの前で褒めると良いと思います。
結果を褒めるだけではなく、過程も褒め、存在自体も褒めるということもあります。
結果を褒めるとは、シュートを決めた時。
過程を褒めるとは、入らなかったけど良いシュートをうてた時。

バスケットボールは 競うべきか?闘うべきか?

参考文献:競争闘争理論(Competition and Struggle Theory)

私なりの解釈なので、詳しくは書籍を購入してください!

【はじめに】

試合に負けた時、「気持ちが足りない、魂を感じない、闘えていない」
このような精神論をコーチが使ってしまうと、敗因を振り返る為の「思考を止めるツール」となってしまい、ヒエラルキーを利用したパワハラと同じ構造になってしまう。
しかしながら、拮抗しているなかで勝敗を分けるのは精神力であると、私は経験上、確信していたが、「気持ちが足りない」以上に言語化できないでいた。
そんな時に「競争闘争理論」で出会い、理解するに至った。

【ジャパニーズ・ガラパゴス・バスケットボール】

日本は島国で、他国とのバスケ交流は限定的であり、ガラパゴス(独自進化)である。
アメリカのネイティブバスケと比べて別の文化が形成されている。

日本:部活動(人数上限なし、トーナメント戦)
欧州:クラブチーム(人数上限あり、リーグ戦)
アメリカ:シーズン制(ストリート含め選択肢が無数)意外にも制度は雑
韓国:エリート(選抜)分配育成方式
中国:国策(誰が何のスポーツをするか国が決める)
NBAアカデミー:オーストラリア(オセアニア)、インド(南アジア)、メキシコ(中南米)、セネガル(アフリカ)のバスケ発展途上国で発掘育成

私たちが知っているバスケはFIBA160カ国分の1のバスケだけである。
自分の常識は世界の常識ではない!

【スポーツを分類(カテゴライズ)する】

個人or団体:味方の有無
競争or闘争:妨害の有無
間接的闘争or直接的闘争:身体接触の有無

バスケットボールを団体闘争に分類する

【思考回路と思考態度】

バスケットボールは「認知→判断→実行」のスポーツである。
今日まで日本のバスケ界がアプローチしてきたのは「認知から判断」までの思考回路であるが、実際には認知してきた時に生じる思考態度(前提部分)を揃える必要がある

【集中力について】

「集中しよう」バスケでよく使われるフレーズ。
「集中力とは一つの事柄に意識を集める能力」となる。
例えば、バスケをしている時に、勉強や仕事のこと、隣のコートでやっているバレーに意識が向いている等は誰が見てもわかる集中力の欠如。
しかし、バスケットボールにおいて、自分の内側に意識を集中し過ぎ、外部からの声が届かないのは間違った集中力である。
バスケットボールではリアルタイムに移り変わる不特定多数の外部情報(敵・味方・審判・時間・点差)に意識を集中する。
対して、競争(陸上等)では、他者からの干渉がなく、技術を発揮する権利が保障されるので、技術が発揮できるよう自分の内側に集中する。…