【ヘルプ・アップ/help up】
ヘルプアップとは、コートに倒れているプレイヤーを一人または複数名で腕を引っ張り立たせてあげるチームプレイのことです。
ヘルプ・アップ(help up)を直訳すると、『助け起こす』という意味です。
そのままですね。
【ヘルプアップの練習方法】
普段クラブチームだと、倒れてもヘルプアップの習慣がないので、誰も起こしに来てくれません。
ギャンブラーズでB3選手と試合に出た時は、凄い勢いでヘルプアップに来てくれます。
レベルがあがれば上がるほど、ヘルプアップを重視しているイメージです。
NBAだと三人ぐらい走ってきて、ヘルプアップしているシーンをよく見かけます。
・ヘルプアップ練習動画
VIDEO
【NBAチームメイト・オブ・ザ・イヤー】
NBAに「トワイマン・ストークス・チームメイト・オブ・ザ・イヤー・アワード」という賞が存在します。
トロフィーはヘルプアップしているシーンです。
NBAチームメイト・オブ・ザ・イヤー賞 (Twyman–Stokes Teammate of the Year Award)は、NBAにおいて、理想的なチームメイトとされるプレーヤーに、シーズン毎に贈呈される賞となります。
チームにとって範例となる、無私無欲、献身的に貢献したプレーヤーが選ばれます。
そして、賞の冠名となっている白人のジャック・トゥィマンと黒人のモーリス・ストークスがとても感動的です。
【トゥィマンとストークス】
トゥィマンとストークスは同じペンシルベニア州の出身であり、少年時代にはメロン公園で多くの時間を共に過ごした。
トゥィマンはそのストークスが試合中の事故で昏睡状態に陥り、24時間の介護を受けなければ1週間も生きてはいけず、またそのためには莫大な医療費が掛かることを知り、知人の判事に頼んで彼の合法的な保護者となり、医療費もトゥィマンが支払うことになった。
ストークスが抜け、さらに多くの中心選手が去ったロイヤルズで孤軍奮闘を続けたトゥィマンは年2万ドルのチーム1の高級取りとなっていたが、それでも医療費を払うには不足したため、トゥィマンは昼夜を問わず働き続けた。
コートの中ではダブルヘッダーとなるエキシビジョンゲームを開催してその出演料を得るなどし、コートの外ではビジネスを展開し、ソースメーカーの仲買人として利益を上げた。
トゥィマンはストークスのために様々な活動をしながらも、本業のNBA選手としてもチームのエースという大任を果たし、またキャリア11シーズンのうち欠場があったのは2シーズンのみと、この時期のトゥィマンがこなした仕事量は常軌を逸していた。
それでも1958年にはお金が尽きたため、トゥィマンはニューヨークでエキシビジョンゲームを開催し、1万ドルの寄付金を集めることに成功し、その後も1年毎に開催され、多くの著名な選手が参加した。
このチャリティーゲームは貧困に苦しむ選手を救済するための恒例行事となり、2000年以降は『モーリス・ストークス/ウィルト・チェンバレン-セレブリティ・プロ・アマ・ゴルフ・トーナメント』に姿を変えて存続している。
またストークスが昏睡状態から目覚め、リハビリの日々を送るようになってからは毎日のように彼の病室を訪れ、またトゥィマンが行けない日は彼の妻がお見舞いに行っていた。
目覚めた当初のストークスは言葉を発することもままならなかったが、トゥィマンとは瞬きによってコミュニケーションが取れていたという。
トゥィマンは自身が現役から引退した後もストークスへの支援を続けたが、ストークスは1970年に心臓発作で亡くなった。
白人のトゥィマンと黒人のストークスの関係は人種の壁を越えた美談として広く人々に伝えられ、時には各地から寄付金が寄せられることもあった(同時に差別主義者からは嫌がらせの手紙を受けることもあった)。
ストークスの死後の1973年には2人の友情を描いた映画”MAURIE”(ダニエル・マン監督)が公開され、トゥィマン役はボー・スヴェンソンが演じた。
【ヘルプアップは大事】
トゥィマン&ストークスとヘルプアップは関係ないんだけど、ヘルプアップは大事です。
コートで味方が倒れたらダッシュで迎えに行って、ヘルプアップしましょう。…