NBAで1試合100点とった男【ウィルト・チェンバレン】

1962/3/2にNBAで1試合100点とった男がいます。
100点とれるようディフェンスも間接的に協力していたのかと思っていたのですが、むしろディフェンスは100点を阻止するために荒っぽいことをしていたそうです。
それでも、本人の奇跡的なシュート力とチームメイトの協力で100点の偉業を達成しました。
映像としての記録は残っていないそうですが、新聞の記録が残っているそうで、アーカイブを共有します。

【100点とった試合のレポート】

チェンバレンは1961-62シーズンの平均得点は50.4点という破天荒な数字だった。
また当時の76ersフランク・マグガイアHCは、チームプレーやディフェンスをさほど重視せず、とにかくチェンバレンに「勝ちたければ、とにかく自分の判断だけでどんどんシュートしてよい」と指示していた。
※当時は高度なディフェンス技術がなく、インサイドが有利なルールであった。

この試合、第2Qが終了した時点でチェンバレンは41点をあげていた。
普段なら試合終了時点でチームが勝っていれば60点+α が相場になる。
しかしこの日のチェンバレンはよほど調子がよかったのか、第3Qになってもまったくペースを緩めずこのQだけで28点。
小計で69点となった。

相手チームのニックスはチェンバレンがあきらかに100点以上を取りにいっていることに気が付いていた。
会場の客も騒ぎはじめた。
第4Qになるとニックスはチェンバレンをわざとこづいたり、手を叩くなど、なりふりかまわぬファール戦術に出た。
理由は チェンバレンはシュート技術は超一流だったが、フリースロー成功率は50%をかろうじて超える程度のスキルしかなかったからである。

さらに4Qの中盤になると、ニックスの選手は 76ersの他の4人のコート上の選手にまで手当たり次第にぶつかり、チェンバレンにパスを出すことさえ阻止しようとした。
これに対し、チェンバレン以外の76ersの選手も負けじとニックス選手がボールを持つと同時に体当たりに行くというダーティーな行為でファウルをとられることでお返しし、試合時間をなるべく伸ばす対抗策を続けた。

そして第4Qの残り0分46秒、自チームの選手からパスを受けたチェンバレンはシュートを放ち、これが見事リングを通過。
歴史に残る100得点目が記録された。

試合終了を告げる最後のブザーが鳴った時、結局チェンバレンは63本のフィールド・ゴールを投げ、うち36本を決めた。
これで72点。

また苦手なフリースローはどういうわけかこの試合に関しては問題なく、32本中28本を成功させた。
これで28点。
78+28=100点となった。

引用元:NBAの最多得点はチェンバレンの100点だけどさ、ほんとにとったのかな? – Yahoo!知恵袋

【受賞歴・スタッツリーダー】

・シーズンMVP 4回 (1960年、1966年~1968年)
・新人王 1960年
・All-NBA First Team 7回 (1960年~1962年、1964年、1966年~1968年)
・All-NBA Second Team 3回 (1963年、1965年、1972年)
・All-NBA First Defensive Team 2回 (1972年、1973年)
・得点王 7回 (1960年~1966年)
・リバウンド王 11回 (1960年~1963年、1966年~1969年、1971年~1973年)
・平均出場時間1位 9回 (1960年~1964年、1966年~1969年)
・フィールドゴール成功率1位 9回 (1961年、1963年、1965年~1969年、1972年、1973年)
・1978年、バスケットボール殿堂入り
・1996年、NBA50年間の偉大な50人の選手
・2003年、「NBA選手歴代Top75」において2位。
・2003年、「20世紀最高の北米スポーツマン」において13位。
・永久欠番、『13』カンザス大学、ハーレム・グローブトロッターズ、ゴールデンステート・ウォリアーズ、フィラデルフィア・76ers、ロサンゼルス・レイカーズ

【絶対に塗り替えられない記録】

ウィルト・チェンバレンと言えば、得点とリバウンドの記録が有名です。
・シーズン通算得点歴代1位:4,029点(1961-62シーズン)
・1試合最多得点歴代1位:100点(1962/3/2、ニューヨーク・ニックス戦)
・キャリア通算リバウンド数歴代1位:23,924リバウンド
・キャリア通算平均リバウンド数歴代1位:22.9リバウンド(1960-62シーズン)

上記の記録も更新されるイメージはありませんが、『絶対』はありません。
しかし、次の記録だけは絶対に抜かれないと確信しています。
・シーズン平均出場時間48.5分(1961-62シーズン)
なんと数試合のオーバータイムを含めて全時間に退場もケガもなく出場したということです。